ファイアーエムブレム蒼炎の軌跡

テリコレをAmazonで見てたら6000円もするのね、原作よりたけーってどういうこっちゃ。仕方ないので書店で探すことにする。なかったらAmazonで買うしかない。
さて。やりたいゲームがなくなったらとりあえず蒼炎の軌跡をやるくらいにはこの作品が好きなのですが、どうしたらいいでしょうか。トラキアまでの作品が好きって人とか、3DSから入った人とか、まぁ少なからずいるんだろうけど、俺はこの作品が一番好き。世界観の組みたてとストーリーがね。
個性豊かなキャラクターを見てると、中々納得出来ない方が出て来る。俗に言うラグズの鳥翼種の方々。背中に翼があるし化身したら4本足のグリフォンみたいになるのかなーって思ったら普通に鳥してて笑ってしまう。じゃあ進化論に当てはまらない様な種族なんだろーなーって思ったけど、ヤナフとアイクの会話でその考えも一蹴される。
昔は卵から産まれてきたらしいけど、最近は哺乳類みたいな出産を行うそうで。なんだかよくわからない。現実で宗教をお持ちの人は結構進化論を否定する人も多い(故にポケモン禁止の国とかある)けど、鳥翼族は要するに進化論と宗教のハイブリッドなのかもしれない。
ベオクとラグズの間でも考え方の違いもあって面白いよね。ベオクで描かれるのは欲と合理性。暁のほうが濃く描かれてはいるけど、私利私欲のために動く奴は多い(そういう奴は大体主人公たちにぶちのめされるけど)。
一方でラグズたちは義と忠義。要するに絆的なものですな。その考え方の溝を埋めるのがラグズ寄りのベオク(アイクとか)ベオク寄りのラグズ(ライとか)なわけ。しっかりと役割りを背負ってキャラクターが生きてるのだ。そこが良い。最近のFEに足りてないのはそういうところなのではと思う。
最終的にアイクたちはおっさんぶっ殺して国を取り返すわけだけど、その後国が、大陸が平和になったわけではない。単にその場しのぎの戦争を終わらせただけである。その証拠にアイクとエリンシアの人間的な甘さと弱さから暁で色々ありましたしね。エンディング含めてまだちょっとだけ続くんじゃよとと言う暗喩なのかもしれない。
暁の話になるけど、戦争から突然の神を殺しに行くと言うパラダイムシフトにはあんまついていけなかった気がしないでもない。まぁ別にいいんだけどさ。
んで最後、平民上がりのアイクさんが神を殺すと言うことですね。一般人が神殺したったっていう快挙、いや暴挙。
結局なんで戦記路線からファンタジー路線に切り換えたって言うと、ゲーム上での神って言うとやっぱり製作者とかを指すと思っていて、それを倒して物語は終わり。つまりは製作者の手を離れていく事で終わりを表現したかったんじゃないかな。後日談が描かれて最後の最後にプレイヤーの手からさえも離れて終幕。美しい終わり方じゃないですかまったく。